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わたしは旅に出た
航海技術が発達した頃に
初めてできた大きな木の船
船底が二重になっていて
甲板から下に降りたフロアは
窓が開けられるようになっている
肘を窓の枠について
わたしは外を見た
深海の様子はわからないが
陽が出て青い海の色が
今日はよく見通せる
わたしの意識は
海を眺めながら
いつの間にか
海から船を眺めている方に切り替わり
ミネラルを含んだ水が
わたしの体を通過して
方々に流れていくのを感じていた
波のある海の表面で
じっと船を見ていることは
自然なことじゃない
波があちこちに
わたしを押しながそうとする
わたしは頭から
海に潜り直した
わたしのそばには
イルカがいて
わたしを見るなり
口をぱかっと開けた
わたしは抵抗もなく
イルカの歯や口腔に噛まれるまま
あっという間に食べられ
飲み込まれた
噛まれ始めたところで
わたしの意識はパッと消え
今度はわたしを食べたイルカの視界が
わたしの見ている世界になった
肌に触れる
波の抵抗感が
先ほどよりも滑らかだ
触れる側から
ツルツルと
スルスルと
体を洗っていくようで
人間の時以上に
気持ちがいいものだった
筋肉の動きや
尾ひれの動きで
わたしは波の間を
ツルツルと滑り
青い海のすき間、
イルカのわたしにしか見えない海の道を進んだ
少し離れたところには
濃い茶色の岩が
ザクザクと集まっている
岩があった
わたしはつるつると
海のすき間を進みながら
飛び上がった大きな波しぶきに
タイミングを合わせて
ザクザクとした岩肌に
この身を預けるように
飛んで
打ち付けた
そして
またパッと意識が切り替わった
今度は岩肌に生えている
ふかい緑色に茂った苔たちだった
ここでわたしは
たくさんの数に分かれ
岩のあちこちについている
それぞれの苔の視界から
下に広がる海や
波しぶきや
空との境目を
見た
波がジャバンジャバンと
わたしに被さり
わたしを栄養の水で濡らしていく
ジャバンジャバンと水を被り
何度目かの時に
わたしはたくさんのわたしに分かれた視界のまま
海の中に
勢いよく潜っていった
たくさんの視界が同じような方向を向いて
海の底を目指して
スイスイと水を進んでいく
10以上、20以上ある
わたしの視界が
いっぺんに
海の底を目指した
水を透かす日の光は
初めのうちは
視界を広く明るくしていたが
進むうちに
だんだんたくさんのわたしの視界は
狭い焦点を絞って
下に向けて
定まっていった
そして海の中間層を超えたあたりで
だんだんと海の底に近づいてきたあたりで
またぼんわりと
明るいような
ひらけたような視界になった
海面に近い層の明るさよりも
ここでは
輪郭線がはっきりしないように見えていたが
わたしはちゃんと海の底についたことがわかった
今は水の泡になっているわたしの意識は
人間の時よりも
イルカの時よりも
岩の苔の時よりも
細かく
たくさんで
全方位を見たり感じたりすることができていた
海の底にいながら
わたしは視界の全部で
わたしが生きていることを
観察し
その間中ずっと
嬉しくて楽しくて
ワクワクするような
ウキウキするような
泡のはじけたような
そんな気分だった
この後もっと細かく広がって
分かれて増えていくわたしは
海流に運ばれ
流れて
色々な場所に
わたしの分かれ身を届ける
どこにいっても
水の泡の表面から
わたしの分かれ身に気が付いて
そしていつか
全部がわたし自身になり
大きな大きな一つのわたしになる
細かく細かく分かれて
全てがわたしになった時
何を見ても
何に触れても
それはわたしの分かれ身だと気がついて
全部が自分の一部だと
思い返す
パッと意識が切り替わって
今度は
何にうつるか
わたしはまだ決めていない
それは
大きなわたしになってから
わたしが決める
とっておきの
お楽しみなのだ
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