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わたしは
幼い子供の姿で
自分が遊ぶことを
自分にたくさん許して
きゃっきゃっきゃと
面白さの波にじゃぶじゃぶ浸るように
はしゃいでいた
こんな風に
無邪気にはしゃいでいることは
わたしの才能
全く力みなく
身体中で
わたしは遊んでいた
そして
その記憶を持ったまま
今度は
おじいちゃんの
体の中に入った
おじいちゃんの体では
わたしは幼い子供の時のように
はしゃいで遊ぶことが難しい
無邪気に手足を動かしたくても
筋肉の反応が
遅い
飛び跳ねられない
でんぐりかえりもできない
体が老いているというだけで
自分の無邪気さが
なかなか
外に出せなくなっている
なんともどかしいことか
わたしの中には
尽きることのない
この無邪気なエネルギーが
泉のごとく湧いてきているのに
だからわたしは
別の方法で
わたしの無邪気さを
表現することにした
わたしの中から湧いてくる
無邪気の泉の水を
晒し布で
ろ過する
なんどもなんども
ろ過する
そうすると
水はだんだん量が少なくなり
ひとしずくの水滴になった
ぽとりと
器に落ちた
しずくを
わたしは
ピッと指で弾いた
しずくは地面に落ちた
そして
雫が落ちた場所から
光の波が広がリ始めた
雫が中心となって
わたしが感じていた無邪気の感覚が
波になって
そこここに広がっていく
凝縮されたエネルギーが
ゆらゆらと流れ出し
ただただ体で遊んでいた
幼い子供の時よりも
大きく大きく広がっていく
まるで温泉のように
あたりに豊かなミネラルを振りまきながら
どんどん広がっていく
わたしはここで
年を重ねることの
面白さを感じた
年齢が上がってからできることは
子供の頃よりも
瞬間的な勢いはないが
手をかける
過程を経て
練ったものを
表現した時には
練られている分だけ
広く
大きく
豊かに広がっていくのだ
このエネルギーの使い方は
非常にためになった
幼さと
老いは
どちらにも価値があるけれど
たくさんのものを人に届けたい時には
幼いままの姿よりも
時間を置いて手をかけることで
よく人に伝わるようになるのだ
そして
人に伝わった時には
わたしの無邪気なエネルギーは
その人のエネルギーと反応し
今度は
その人の無邪気な心を
揺らせることができるのだ
わたしの無邪気さは
人を動かすものなのだ
温泉の湧き出る泉のように
豊かに広がった無邪気のエネルギー場には
だんだんと人ではないものも
集まり始める
時には龍も顔をだす
波の合間から
ひょっこり顔を出した
緑のヒゲの龍は
嬉しそうで
人間からこのような温泉が湧いていることを
褒めるように
喜ぶように
気持ち良さげな表情で
温泉を泳いでいた
それを見てわたしは
また無邪気な心が
胸の奥でコロコロと揺れ
温泉がまたいくつも
あちらにもこちらにも
湧き出していくのを
頭の隅の方で
予感していた
龍は嬉しそうだった
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