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流れ込んできた滝に乗って
わたしは体をくゆらせながら
水に入った
わたしの体はドラゴンで
この滝にであったから
自分の一番素直な状態を
さらけ出すことができていた
わたしは自分の使い場所を
見つけた
この滝のフィールドは
わたしの体
わたしの運動能力
わたしの思想
わたしの自由に
ふさわしい環境だ
わたしはこのように
自分自身をそのまま出せる
自分自身をそのまま解放できる場所を
ずっと待っていたのだ
ここはわたしの自由が約束された場所だ
わたしが滝に降り立ち
柔らかな動きで舞っているいる様子は
唐の国の旗にあるように
たくましさと
優美さの象徴となっている
しかしそれは人間側から見た様子で
本来のわたしは
わたしの本質は
自由
だった
そして束縛されている期間が
あったために
わたしは自分の自由を
表現することが叶わず
わたしが本当に自分自身を堪能できる場所に
いくことができたら
わたしのうちにある
この「自由」の形を
そのまま表現しようと決めていた
わたしの自由とは
このドラゴンの体の中に燃えている
心臓が
宙に浮いた状態で
健やかに動き続けること
自分一人でいるとき
多くの家族とともにいるように
多くの家族とともにいるとき
自分一人でいるように
何者にも自分の状態を
固定されることなく
そこにいる
それがわたしの自由だった
だから
滝で一人遊んでいる時
わたしは多くのものたちと
一緒にいる心地だった
それは
わたしが自分自身とともにいることが
得意だったから
あった感覚だった
わたしはたくましく
わたしは優しく
わたしは自由で
そして誰よりも自分とともにいた
そうして自分自身の自由を
ゆっくりと
見守っていた
唐の国の旗に描かれたわたしには
そういった理由で
描くことのできなかった
要素があったのだ
わたしの自由を
旗に描くことは
わたしの体を写したからといってできるものではない
滝で遊ぶわたしは
自分の自由が
体のあちこちから
水色 白 黄色 桃色が光る
鱗の隙間から
外に出て
香の煙のように
空気に広がっていくのを感じていた
一枚一枚の鱗の下から
柔らかに立ち上り
自由の香りを振りまいていた
無骨なわたしは
そのように
自由の気配が
わたしとは一体何なのだろう
滝に遊び
体を揺らし
鱗の一枚まで自分の意思が貫かれ
自由を表現している
こうして水を浴びている間にも
わたしの自由はわたしの中で
心地よさそうに
揺らめいてそこにある
自分自身でいながら
自分を動かす大いなるリズムとの一体感がある
わたしがわたしでいることが
大いなる調和を感じさせる
そのことをドラゴンの体で
もっとよく味わうために
わたしは滝の中に
身を踊らせて
ゆっくりと
水と一体になっていった
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